「しまうこと」の必要性

店じまい

墓じまい

井戸…じまい?

 

「しまう」

それは 終了を意味するよね

終わらせる

 

もう大分、世の中に浸透してきたはずだけど

断捨離も 私の言う「しまう」のひとつ

 

減らしていく?というのか

やはり

役目を終わりにさせると言う意味

 

 

店にしても 墓にしても 井戸にしても

「しまう」ことに対して

申し訳ないこと とか

長く続く方が立派だから、やっちもない!みたいな…

そんな方、多いだろうね

 

それは違う!と断言します

私は視えないもののその念に

どれだけ向き合ってきたか…

だからわかるの、大丈夫だって

 

店を閉める人だって、最後は

今までありがとう、感謝セールなんてやったり

決して、マイナスなイメージばかりではない

いつものお店が毎日開いてる日常から

違うことをする勇気ある考えと行動の結果

「店なくなったね、かわいそう」

そう思うのは

三者の勝手な妄想です

前向きな決断の結果だと信じたいです

 

何でもね、終わらせるから、始まるのね

エネルギーが変わってきた今

それを体感している人が増えてるから

楽しいんだ✨

 

そして

わたしがずっと頼まれて

見さされて、考えさせられている答えが

やっと出ました

このはてなブログさんで伝えたらいいんだね♪

ってこと。

 

それは

そこに澱んでしまい、流れのない

失礼ですが、キレイでない、生きてない状態のものに、動きを与える、感謝を伝え、役目の終わりを告げる「しまう」行為

 

目にも気にもかけず置きっぱなしこそ

危険な状態

 

庭の木を切ると調子が悪くなる人がいます

魂を抜かず仏壇を動かすと

あまりよくないことがあると言います

 

物、目に見えるもの全ては振動しています

それは、エネルギーを持つと言うこと

振動しているから、形ある状態で「そこにある」状態

エネルギーを持つと言うことは

同じようなエネルギーが引き寄せあってきます

だから、空き家に重たいエネルギーを持ついわゆるおばけ👻と言うものを感じたりするのですね

 

人だって、同じような人がやってくるでしょう

他人のことを評価する人は

同じように、噂好きな人たちが…

 

人もモノも同じ

人も自然も同じ

人も見えないものも同じ

同じものが引き合い、色んな意味で助け合い生きている

 

そして

もしも現状を変えたいのなら

自分もだけど

「今あるもの」一つひとつに目を向け、見直し、

「しまう」「感謝し、役目の終わりを告げる」

このことが必要

 

ものが沢山あるのがだめなのではなく

使わずに、ほったらかしにすることが問題

 

 

私は、祖父母のお墓参りにいき

「上の木(竹)を切ってやって!」って言われたのね

もちろん、一応女子だし、その技は持ち合わせてません

「今は無理だよーみんなに伝えても、私おかしい人って思われて、切ってはくれないよ」

そんな会話をして約3か月後

その場所に家事が起こりました

ボヤくらいですみましたが

言われた木は焼けてる…

あと、なんか今墓参りに行かなきゃいけないと思い行くと、竹が倒れて、道を塞いでました

 

こんな感じです

これも墓じまいを言われていたのを数年放置してきた結果でしょうか

うちはまだ墓じまいするには早い気がします

この話が

私以外の誰かのヒントになったならば幸いです

 

読んでくれてありがとう🍀